そんな暇はない

気が向いた時に書きます。

ない話

2020年秋頃に課題で制作したZINEのテーマが「ない」でした。
それに載せるために書いた文章の一部です。



「ない話」
秋も深まった頃になると、始発の電車で新潟に向かったことを思い出す。
まだ真っ暗で、深夜なのか早朝なのかもよくわからない眠気の中、隣で友人が寝ていて私は外を眺めていた。
夢の島思念公園を聴きながら、20分ほど電車に揺られていると、いつまで経っても夜が明けない気がしてくる。
何故かこのまま夜は明けなくてずっとこの世は暗いままなんだろうと革新めいたものを感じていた。
結局6時を回ったあたりから段々と空が白み夜は明けた。
あのまま夜が明けない世界だったらどうなっていたのだろう。


「ない話2」
黄昏時に電車から見えた月が丸くて綺麗だった。
下には住宅街が広がっていて、空はなんとなく赤と紺のグラデーションで月だけが白かった。
自分が死ぬときには月が落ちてきて死ねないかと考えていた。
地球が地球の衛星で滅びるのはなんとなく面白い事のように感じて、なにがどうなったらそんな事が起こるのかわからないけど、とにかくそうなってほしいと強く思っていた。
世界五分前仮説、というものがある。
説を提唱したラッセル自身、この説をまともな論だとは思っていないという記事も読んだのだが、自分の信じているものは案外適当で、絶対に無いと思っていることも案外起こり得るのかもしれないとこの説を聞いたとき考えた。
だからきっと私が死ぬときは月が落ちてくる。

「実際にはない」
私は生まれつきの飛蚊症だ。
特に生活に支障はなく、気にせずに生きてきたがよく考えれば本当なら無い(見えない)物が見えているというのは不思議な現象だ。
幻覚や錯覚ではなく実際に原因があり見えているが、本当は目の前には存在しないという不思議。


「おばけなんてない」
おばけなんてないさ、という曲が好きだ。
流石に本当に怖いのはおばけや怪奇現象より人間だ、と思う年になったが、それでもたまに丑三つ時に暗い洗面所で鏡を前にするのは背筋が寒くなる。
そんなときにこの曲の「本当におばけが出てきたらどうしよう 冷蔵庫に入れてカチカチにしちゃおう」というフレーズを思い出す。
カチカチに凍ったおばけは可愛い。
4番ではおばけの国の話を聞こうとする。
何もかも嫌になったらおばけの国に招待してもらえないだろうか。
もう子供じゃないから招待してもらえないか。


「おそらくない未来」
冬が怖い。夏は朝の4時位にはもう外は明るくて安心する。
まだ9月なのに4時半を過ぎても外が暗くて怖い。寝るときに布団をかぶっても暑くなくなってきた。
冬になると眠ることが難しく感じる。
どうしたら眠れるのか、毎日繰り返していることのはずなのにわからなくなる。
眠いような、眠くないような。寝たいような、そうでもないような。
そんなときに外を見ると大型トラックが走っていて、部屋に居たくない気分のときにトラックが果てしなく羨ましくなる。
あのトラックはどこからどこまで行くんだろうか。
私があのトラックを運転することはきっと無いんだろう。
深夜に私の知らない土地から知らない土地へ行くトラックはとてもまぶしく見える。
冬はどこに行っても自分一人しか居ないような、誰も助けてくれないような気分になる。
一人でどこかに行けるトラックが羨ましい。



エッセイなのでしょうか……?
ショートショートといえば良いのかエッセイといえば良いのかブログといえば良いのか
1年以上わかりませんが、この頃に書いた文章が私は好きです。
高校生の頃を引きずっていて、受験が怖くて怖くて仕方なかった頃の私は非常に弱いです。
自画自賛にはなりますが、弱い人間の書くものは面白いなにかがあると思います。
どこかで「病んでいるときしか良いものが作れない」という作家の文章を読んだことがあります。
それに近しいものなのでしょう。
また、この文章は課題に使用するということで知り合いに読まれることを前提に書いているので、ツイッターやブログとは違う感覚で書いていた記憶があります。
1年経った私はだいぶ図太くなりました。
またこの感性を取り戻したい気持ちもありつつ、病むのは勘弁だな~と思っています。