そんな暇はない

気が向いた時に書きます。

ちょっと懐かしい話

高校生の頃のお話

 

昨日は高校時代の同級生の誕生日だった。

私は人より誕生日をおぼえるのが少しだけ得意な自負がある。

そのため嫌いになった人の誕生日すら何年も何年も覚えている。

昨日がそうだった。

 

例えこのブログがその人に見つかっても多分私が嫌いだった事も悟られてると思うし、

その人も少なくとも私のことは好きじゃなかったと思うから仕方ない。

 

誕生日だった人(以下A)は多分小学校2年生とかそんな頃からの付き合いだったと思う。

もう明確には思い出せない。

私は絵を教わった人が数人いるのだが、その人も私と全く同じ先生に教わっていた。

最初は隣町にあった子供向けのお絵描き教室(今もあるのかな)この先生とはとっても折り合いが悪かったが、5歳〜小学4年生の秋頃まで習っていたと思う。Aは4歳〜6年生くらいだったと思う。覚えていないけれど。

次は中学の教師。とっても好きな先生だった。中学生の頃の私の作品を褒めてくれた。

最後に同じ先生だったのは高校の美術の先生。

とてもいい先生だった。非常勤の優しいおじいちゃん先生だった(おじいちゃんとか言ったら怒られそう…)

当時の藝大油にたしか現役で合格した方だった。

顧問ではなかったのだが、3年間絵を見ていただいていた。

 

こんなふうにずっとほぼほぼ同じ環境で絵を描いていたのだが、作品の方向性は全く違った。

その人の作品には今回触れないが、私の描いた漫画とは真逆の作品を作っている人だったとだけ。

 

高校生の私は油絵で風景を描いていた。

住んでいる町内の公園に流れている人工河川を描いたことは覚えている。

硫黄の臭いがする綺麗な川。

それで賞をもらった事はきっと一生忘れられない。

小さかったけど、あの頃の私は今よりきっと真剣に絵を描いていたからすごく嬉しかった。

所属していた美術部がとても酷い扱いを受けていたので「これで冷遇されなくなる」とも思っていたかも。

これが1年生の秋の話。

 

2年生になって理系を選んだため美術の授業は無くなってしまったが、この年は春から秋にかけてずっと同じ油絵を描いていた。

バスの中を描いた。

専門1年生の夏課題で描いたものとほぼ同じ絵をF30号で描いた。

通学に使っていたバスが古くて、暗い時間に乗るとどこか目的地ではない所に着きそうで怖かった。

その絵は賞も何もなかったが割と気に入っている。

明確にグラフィックデザイン系に進みたいと思ったのもたしか高校2年生だったと思う。

というか、それまでの安定志向が嫌になってしまったのだと思う。

同時に学歴コンプレックスを抱えることになるのだが。

 

ここまでAの話が出てこないが、わりと穏やかな関係だった。

高校3年生の春までは、ちょっとした衝突とかはあったけど毎日遅くまで部活に残って一緒に絵を描いていた。

 

高校3年生の夏頃に関係にヒビがはいってしまった。

受験生になって私はずっと行きたかった大学のAOを受けたのだが、一次試験で落ちた。

今思えばそりゃそうだという気持ちなのだが、当時はそこそこ悲しかった。

AOの一次試験がなかなか厳しくて、A4サイズ3枚ほど文章で志望動機を書かなければならなく、

無い頭を必死に動かして、無い将来の夢を考えて、合わなすぎて泣きながら行っていた予備校と並行しがんばった。

予備校の先生は優しかったのだが、予備校というものが合わなかったのだと思う。

ご飯は食べられないし、夜どころか明るい時間ですら眠れなかった。

毎日はやく死にたくて泣いていたし、部活でその人に毎日の様に「死にたい」と嘆いていた。

それまでの道のりを知っている上に一次の発表を見た日の部活で、落ちた事を知っているAは私に

「ねえ、私の面接の相談乗ってくれない?」

 

そのあとのことはあんまり覚えていない。

なんか悲しかったのは覚えている。

 

そのあとはしばらく距離を取りつつ付き合いがあったが、天気が良かった日の帰り路に「一年中こんな感じの気候がいいな」みたいな事を呟いたら「ぜっっっっっって〜〜〜〜嫌!!!!!!!!!!!」と返ってきて完全に見切ったのだ。

 

お察しの方は居ると思うが、付き合いのあった10年の間できっと私は少しずつ、少しずつあの人への不満を募らせていたのだと思う。

決定的なことはこの2つ(というか、悲しすぎてあんまり覚えていない。記憶から消されている)だった。

 

さらに受験もあったため、精神が非常に不安定だった。

一次の時の飯が食えない、眠れないは序章にすぎなかったのだ…って口上が入るくらい受験がやばかった。

というか、AOのストレスで胃が死んだ上に18歳にしておたふく風邪になったので食うに食えない時期が続いただけだったけど。

私は18歳でおたふく、当時の担任は三十路にして溶連菌という幼稚園みたいなクラスだった。

自律神経は一回やるとしばらく本当に苦しいので生活リズムには気をつけた方がいいというのが受験で得た教訓です。

その話はまたいつかもうちょっと元気になったら

 

話は戻るが、側からみたら仲良かった2人が大喧嘩をした様子もなく急に話さなくなったから違和感があっただろう。

同級生にも「Aちゃんと何かあったの?」と聞かれた事があった。

ものすごく説明が難しいので受験のエピソードを話していた。

 

Aのことはもうきっと好きになれないのだが、楽しかった思い出にはだいたいAが居るのも事実だ。

悔しいがそれはもう動かしようの無い事実なので仕方ない。楽しかったと受け止めるしか無い。

 

もう最後にまともに会話してから1年以上経ってもまだ許せていない私の心の狭さの吐露をしただけだったな。

この前、たまたまAのバイト先で会って会話したがしばらく落ち込んでいた。

友人として会話することはもう無いと思う。あと何年経ったらあの人を許せるのかわからない。

もう怒ってはいないが、興味を持つことはきっと難しい。どうでもいい

万が一Aがこのブログを見つけたら思うことは沢山あると思うが、連絡する手段はお互いに持ち合わせていないから意思疎通を図ることも難しい。

Twitterは高校以前からお互いにブロックしていた。

一時共同でアカウントを作ったこともあったが、現在は私の裏垢となっている。

もし見ていたらログアウトしてくれ。たのむ。

 

 

高校時代の主な思い出はA、で終わりよければ全てよしと真逆をいく終わり方をしたためあまり明るく無いのだが、楽しいこともあるにはあった。

部活はとっても楽しかった。

とっても好きだった後輩がいたし、そもそも大部分の後輩とは仲良くさせてもらっていた。

一番可愛がっていた後輩は中退してしまって連絡は取れないのだが。

楽しかった思い出…??????

 

とっても長くなったが人生でいちばん印象的な人物との高校時代のお話でした。